「思考の整理学」読了
- 作者: 外山滋比古
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1986/04/24
- メディア: 文庫
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やっぱり「若いときに読んでおけば良かった」なんてフレコミで売っているもんだから、煽られて買ってしまいました。
1986年の本なのですが、読後感を言えば「非常に面白かった!」です。
この本も「長年の時を経てもなお読まれる本」に属するのでしょうね。
新しいものを追いかけることも必要なのですが、昔の本にも良いことがたくさん書いてあります。
p16 社会へ出てからも、勉強とは、教える人がいて、読む本があるもの、と思い込んでいる。
そう思っていればまだ良い方なのではないでしょうか。
僕の周りにいる人たちは、社会へ出れば勉強から解放される。くらいに思っている人が多そうです。(あくまでも印象ですが)
僕が今色々勉強できているのは、ある意味周り(雑誌や、本や、ブログなど)から社会に出てからこそ勉強するもんだという常識を突きつけられていることと、学校で勉強してきたことで、勉強の仕方を随分学んだことが大きいのではないかと思います。
じきに紹介しますが、「自助論」を読むと、一層煽られます(汗
p27 ものを考えるのに、「ものを食べたあと」と「体の疲れたとき」は適当でない
今の職場では昼休みが1時間あるのですが、前半30分はご飯食べながら携帯RSSリーダーで情報収集。後半30分は本を読んでいることが多いです。
が、この考え方だと、本なんか読まずに寝た方がいいってことですかね。
まあ、午後の仕事の忙しさにもよるでしょうが。
p38 "見つめるナベは煮えない"
早く煮えないか、早く煮えないか、とたえずナベのフタをとっていては、いつまでたっても煮えない。
という意味のことわざだそうですが、考えるときも、あまり考え詰めない方が良いそうです。
確かに、以前考えていたことに対して、突如としてアイデアが浮かぶってことありますよね。
p51 "知のエディターシップ"
方々へ書いたものを集めて本にし、短編小説をまとめて短編集をつくりあげることはごく普通に行われているのに、既存の知識を編集によって、新しい、それまでとはまったく違った価値のあるものにする"知のエディターシップ"が技法としても、充分自覚されていないのは不思議である。
Webの世界で言えば、"マッシュアップ"なんてのが近い概念かも知れませんね。
プログラミング言語で言えば、JavaとRubyを融合させたJRubyとか(他にも色々ありますが)、見渡せば結構色々あるかも知れません。
自分で何かをやるには、「既存の知識」がそもそも深い状態にないと難しいような気もしますが。
p85 なんでもおもしろそうなのは片端からとり入れたりしていると、雑然たる断片的知識の山ができてしまう。
ああ、なんか自分のことを言われているような。
今年になって、Ruby → C# → Haskell → またRuby とか色々遊んでいるわけなのですが、
最近話題のあなたは本当に、他の言語を学ぶべきなのか?も、同じようなことを言っているような気がします。
p86 対象範囲をはっきりさせて、やたらなものに目をくれないことである。
p86 つまり、調べにかかる前に、よくよく考える時間をとらなくてはならない。
僕に必要なのはこういうことかと。
ただ、固定観念で初めからこういうものは読まないとか決めてしまっていたら、この本にも出会えなかったような気もします。
p92 つんどく法
いわゆる積読とは違います。
まず、テーマに関連のある参考文献を集める。集められるだけ集まるまで読み始めないでおく。これだけしかない、というところまで資料が集まったら、これを机の脇に積み上げる。
これを片端から読んで行くのである。
シントピカル読書に通じるものがあるような。
各文献間の用語の違いや、用法の違いも脳内で整理しなければならないので、相当頭の良い人がやることなのではないかと思います。。
p133 本はたくさん読んで、ものは知っているが、ただ、それだけ、という人間ができるのは、自分の責任において、本当に面白いものと、一時の興味との区分けをする労を惜しむからである。
「一時の興味」にばかり行ってしまうと、「雑然たる断片的知識の山ができてしまう。」というわけですね。これを防ぐには、やっぱり目的をはっきりさせることが重要ですね。
p177 三中 ― 「無我夢中」「散歩中」「入浴中」
いい考えの浮かぶいい状態だそうです。
もっと前に出てくる、中国の欧陽修という人が残した三上「馬上」「枕上」「厠上」、現代で言えば、「通勤電車の中」「朝目が覚めてから起き上がるまでの間」「トイレの中」だそうで、これもまたいい考えの浮かぶいい状態だそうです。
僕の場合は、寝床に入ってから寝入るまでの間に、ふと何かを思いついたりすることが多かったような気もします。
p186 ことわざという高度の定理化
同じことをくりかえす人があとからあとからあらわれる。めいめいの人にほかの人の経験が情報として整理されていないからである。整理されていないわけではない。ちゃんと、ことわざという高度の定理化が行われているのに、それを知らないでいるためである。
そうか、ことわざって定理だったのか。
定理って正確に言うとなんだ?って探してみました。
「定理とは」
「定理」とは,「本来なら,証明が必要な事柄だけど,めんどくさいから証明なしに使ってもいいよ」とされていること。
わかりやすい。
なんで人生の定理ってまとまってないんでしょうね。やっぱり人それぞれだから?
まとめ
対象範囲をはっきりさせるために、よくよく考える。これが重要なのは分かるけど、よくよく考えるってのは結構難しいわけですよ。
結局のところ、自分は何がしたいのか、どうなりたいのか、が分かればいいのでしょうけど、それが未だにはっきりしないところが問題なわけで。
で、それを探すためにまたまた色んな本を読むという循環になり、「なんでもおもしろそうなのは片端からとり入れたりしている」ようになってしまうわけですか。。
「自分は何がしたいのか、どうなりたいのか」が分かるには、「ロールモデル思考法」ってのが一つの道筋ではあるような気がしてますが、そうすると伝記とか歴史小説とかは、読むべき本のジャンルとしてありかなあとはボンヤリ思ったりしますが。
んー、まとまらん。。