ITコンサルの日常

ITコンサル会社に勤務する普通のITエンジニアの日常です。

「なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?」読了

なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?

なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?

まるで自分が「できる人」だから読んでるみたいですが、そんなことはありません。
自分の今の立場は、中間管理職的なところなので、
もちろん部下を「できる人」にしていかなければならないというのもあるのですが、
「できる上司」からは「できない人」だと思われている(のでは?)という視点も必要だったりします。


そもそも「できる人」ってなんなの?っていうのは、こういう風に書いてあります。

 「できる人」と呼ばれるのは、どんな世界でも持続的に高い成果を出している人です。一度や二度くらい良い結果が出ただけでは、通常「できる人」とは思われません。

具体例でこんなことも書いてあります。

 「できる人」の多くは、そうなる過程で厳しい目標を達成しています。普通レベルの人なら最初から諦めてしまうゴール設定を、前向きにとらえて挑むのが「できる人」です。
 ITベンチャーの雄であるサイバーエージェント藤田晋社長が、会社を立ち上げたばかりで社員数が少ないときに、ビルの広いワンフロアを借りたのは有名な話です。閑散としたオフィスで、すでにフロアが一杯になる光景を描いていたのです。

「できる人」ってすごいですね。こういう例を出されちゃうと、なんか俺にはムリだ。。とかネガティブオーラを出したくなってしまうのですが。。


なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?については、
そもそも「できる人」と「できない人」は違うということを理解する必要があると、本書では繰り返し述べています。
象徴的なのがここ。

 「できる人」はどんなに人が良くても、本音の部分では必ずどこかに優越感があります。そう表現すると反発が出るかも知れませんが、何かが人よりもできて嬉しいのは、そこに「人より優った」という優越感があるからです。

 事実以上に膨らんでいくのは、相手に対する感情を伴う人格面の印象です。たとえば「いつも納期が遅れる」という事実があるとします。これに頭を悩ませている「できる人」は、「彼は怠惰で責任感がない」といったように、ある事実を根拠として相手の姿を描き出します。出来事=事実を通じて、人格=物語を自分で作ってしまうのです。
 「できる人」が「できない人」からもたらされたストレスを、人格否定を通じて発散しているわけです。もはや、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い……という世界です。

なんか身に覚えがあるような。。


多分、「できない人」から見れば、「あなたとは違うんです」って言いたいところなんでしょうね。


「できない人」は「できる人」へ、「できる人」は「伸ばす人」へ、変わって行くことが組織の成長へとつながる鍵となるわけですが、
その具体的な方法については、続編「「できる人」で終わる人、「伸ばす人」に変わる人」に続きます。