「使える!確率的思考」読了
- 作者: 小島寛之
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2005/11
- メディア: 新書
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というようなことが書かれた本。
例えば、こんな話。
このことは、ニュースが人びとの危険認識をゆがませてしまうことからも想像できる。確率からいえば、飛行機事故で死ぬことは、交通事故で死ぬことに比べて相対的に微小な確率にすぎない。けれども、自動車事故ではニュース性が無いからその実際の頻度ほどには報道されないが、飛行機事故はほとんど必ず報道される。すると、人びとは自動車には平気で乗っても、飛行機には臆することになる。
僕は飛行機に乗る機会がそれほどないのですが、
たまに乗るときはやっぱり、なんか恐怖を感じてしまうのですよね。特に離陸時。
でも、自動車に乗るときは、それほどの恐怖は感じなかったりします。
つまり、死亡確率から見ると危険度は、
自動車>飛行機
なのに、感覚的には、
飛行機>自動車に
なっちゃってるってことですよね。
だから、飛行機に乗るときには、必要以上に怖がる必要はないし、逆に自動車に乗るときには十分気をつけなければならない
ということですね。
しかし、なんでもかんでも確率的思考でいけば良いというものではない。ということも書かれている。
たとえば、患者が手術前に執刀医師から説明を受けたとする。それによれば、手術を受けなければ5年生存する確率は50%、受ければそれは90%に上がるが、難しい手術なので失敗して死亡する確率もわずか1%ほどはある、とのことである。このとき、患者の決断はどういうものになるだろうか。
「合理的な選択」、たとえば期待値基準においては、手術を選ぶことだろう。しかし、手術を受けてみたら、運悪く失敗して死んでしまったとする。この場合、この選択は「正しい選択」だったのだろうか。「選択は正しかったが、運が悪かった」で済ましていいのだろうか。
確かに、事前には「正しい選択」だったのかもしれない。だが、事後的に見れば「正しい選択」ではなかったはずだ。それは疑いない。実際死んでしまったのだから。
手術を受けなかった場合の期待値は0.5、手術を受けた場合の期待値は0.9x0.99=0.891で、確率的思考=合理的な選択でいけば、手術を受けるということになるわけですが、死んだら元も子もないってことですよね。
レーシック手術なんかは、失明のリスク(最近は安全になってきたとか)を取ってでも、視力回復を得るかどうかという意味で、上に例に近いのではないでしょうか。
なんでも感覚で判断するという状態から、
まずは確率的思考で判断し、判断仕切れないものについては、リスクを勘案しながら感覚で判断する
というような行動ができればベターなのではないかと思いました。
やっぱり「数字を意識する」は重要だな。