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「ベーシック・インカム入門」読了

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

ベーシック・インカム入門 (光文社新書)

近頃脚光を浴びているらしい「ベーシック・インカム」という社会保障の考え方について、
なぜか興味が沸いてしまったので、本書を手にしました。


この「ベーシック・インカム」という、「働かざるもの、食うべからず」と真っ向から対立する概念について、
一番の疑問は、無条件でお金をもらえるとしたら、誰も働かなくなってしまうのでは?
という点で、一番納得したのはこの部分。

 ベーシック・インカムに対する答えられるべき疑問として、無条件の所得給付は労働意欲を減退させるのではないか、という疑問をあげ、フロムは以下のように回答する。現行の世の中の仕組みは、飢餓への恐怖を煽って(一部のお金持ちを除き)「強制労働」に従事させるシステムである。こうした状況下では、人間は仕事から逃れようとしがちである。しかし一度仕事への強制や脅迫がなくなれば、「何もしないことを望むのは少数の病人だけになるだろう」という。働くことよりも怠惰を好む精神は、強制労働社会が生み出した「状態の病理」だとされる。

そう言われてみれば、「宝くじで3億円当たったらどうする?」とか聞かれて、「仕事は辞めないだろうなあ」とか答えていたのを思い出す。それは、たまたまその時、仕事自体が面白かったというのもあるのだろうけど、やっぱりだらだらしてるだけじゃつまらないという考えもあったのだと思う。
そういえば、僕は会社員とフリーと行ったり来たりする間に、いわゆる空白の期間があったのだけども、やっぱり長く休んでいると、そろそろ仕事したいなという気分になってくる。それは、貯金が減ってきて生活に困ってしまうという危機感もあったと思うけども、のんべんだらりと暮らしていることに飽きてくるというのもあったと思う。正常な感覚なら、仕事は自然としたくなるということか。


もう一つはこの部分。

 ベーシック・インカムが保障されているもとでは、生存のために労働を強いられるということはないはずであるから、より多く働くものは、自分の意思でそうしているのであり、単純化のために、金銭に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。他方、より少なく働く者は、単純化すると、時間に相対的に強い価値を置いていると考えることができよう。
 後者を「怠け者 lazy」と呼ぶことがもし許されるのであれば、前者を「クレージー crazy」と呼ぶことが許されるだろうか、とヴァン=パレイスは論を勧める。ベーシック・インカム制度のもとでは、レージ―な生き方も、クレージーな生き方も、あるいはそれほど両極端ではない「どっちつかず hazy」の生き方も、自由に選択することができる。図示すれば図表A左のようになる。ところが労働可能なものが飢餓への恐怖なしに賃金労働に従事しないことを認めない現行の福祉国家のもとでは、図表A右のようになり、クレージーな生き方を強制されることとなる。

この図は非常に分かりやすくて気に入っています。
lazyも、crazyも、hazyも選べるという意味で、ベーシック・インカム制度は「自由」を保障してくれるのですが、
現行制度はそうではないということですね。


もし、ベーシック・インカム制度になったとしても、やっぱり仕事はするだろうなあ。
年金はやっぱり無くなるのだろうか。自分で貯蓄 or 投資しなければいけないとすると、
むしろ、老後に金銭上の問題をかかえる人は増えるような気がしますね。


日本がベーシック・インカム制度を導入するかどうかは分かりませんが、
子ども手当は近い概念なのかな。13,000円/月じゃどうしようもないけど。
やっぱり自分でベーシック・インカム相当のインカムを作り出さないとダメなようですね。